Things I Didn't Know

ミュージカルが好き。歌とダンスと物語が好き。定期的にソウルへ行きます。

【観劇感想】『ベア・ザ・ミュージカル』(베어 더 뮤지컬)

ベア・ザ・ミュージカル
2017年11月28日〜2018年2月25日 ペガムアートホール

韓国では三演目である『ベア・ザ・ミュージカル』。私は2016年夏に続いての観劇になりました。『Bare: A Pop Opera』として2000年にロサンゼルスで上演され、2004年にはオフ・ブロードウェイにも上がったこの作品。日本でも上演していたようですが私は未見。

現在、映画化の話も進行しているようです。公開時期などは今のところ未定。脚本は初演の演出を担当したKristin Hanggiが手がけるそう。公式HPでは、映画版制作にあたって舞台や物語に関連する経験を語る映像を募集中。これを受けてストーリーが変更されるのでしょうかね。

あらすじ

舞台になるのはカトリック系の寄宿学校である聖セシリア高校の一クラス。冬休みが明け、卒業を9ヶ月後に控えた高校4年生のピーターは、密かにクラスの人気者であるジェイソンと恋人関係にある。ピーターは自分を偽ることに苦痛を感じ、カミングアウトすることを望んでいるが、母親やクラスメイトに受け入れてもらえないのではないかと悩んでいる。厳格な父親を持つジェイソンはセクシャリティを徹底的に隠し通すつもりでおり、ピーターの相談もはぐらかすばかり。ジェイソンは卒業後も交際を続けるつもりがないのではないかと不安を感じるピーター。
ピーターたちのクラスは卒業公演に『ロミオとジュリエット』を上演することに。ロミオ役にはジェイソンが、ジュリエット役にはクラスのマドンナ的存在であるアイビーが選ばれる。ジェイソンに恋するアイビーはここぞとばかりにアタックし、カミングアウトの件をめぐってピーターとすれ違っていたジェイソンは衝動的にその誘いに乗ってしまう。アイビーに想いを寄せるマットや、そのマットに想いを寄せるジェイソンの双子の妹・ナディアなど、交差する恋模様が描かれていく。 

◆ネタバレ感想

正直に言うと、私はbareという作品を好きだと言い切ることはできません。脚本に対して納得のいかないところがあります。なのになんで惹かれるのか、初めて観た時から考えてはいたのですがうまく言葉にできずにいました。今回は文句も言いつつ、私が思うbareの魅力を考えていきたいと思います。

■全員が被害者であり、加害者

初演から使われているキャッチコピーは“Everyone has a secret”。メインキャラクターたちは皆ありのままの自分を他人に受け入れられないことに傷つき、同時に誰かを傷つけています。彼らは自分が生きることに精一杯で、他人の傷に目を向けることができていません。とても身勝手で、衝動的で、言葉足らずな人たち。そこにリアリティがあります。全員に苛立つし、全員に同情してしまう。
自らの容姿にコンプレックスを抱き、自信を持てずにいるナディアがいれば、そのルームメイトのアイビーは容姿でしか評価されない悩みを抱えています。また一大決心をしてカミングアウトしようとするものの、わざとはぐらかす母親の態度に傷つくピーターがおり、同時に新しい価値観をどうしても受け入れられず、息子を救うことができない母親側の苦しみも描かれます。一方の視点に偏ることなく、決して甘くはない現実を映し出すのがこの作品です。
そしてラストには悲しい結末。ピーターとマットのアウティングによりセクシャリティがクラスに知られることになったジェイソンは、オーバードースによって亡くなってしまうのです。哀しみと後悔の中で卒業式を迎える生徒たち。厳しい現実をつきつけて、舞台は幕を閉じます。

■“bare”を望んだピーターと、望まなかったジェイソン

ロミオとジュリエット』になぞらえるという物語の構造上、ジェイソンとピーターの恋の結末が悲劇になるのは仕方がないのかもしれません。どこまでも不条理な現実を描いているというのは、この作品の長所でもあるのかも。それでも私は、現代の若者の苦しみに寄り添う作品をつくるのであれば希望を与えて欲しかったと思います。世界に絶望したままジェイソンの物語が閉じてしまうのは悲しすぎる。
この作品において希望あるメッセージを受け取るのはピーターだけ。母親へのカミングアウトが不発に終わったあと、ピーターの気持ちの落ち込みを察知したシスター・シャンテルは、ありのままの彼を肯定する言葉を贈ります。

神様は同じものを絶対に作らない
空の虹だって一色ではないでしょ
無知な奴らは性急で 容易く吐いた言葉で罰を受けることになる
失敗作はない 
〈God Don't Make No Trash〉

対してアウティングに遭ったジェイソンは絶望の淵で神にすがりますが、神父に見放され、死を選ぶことになります。この作品は「bare=さらけ出すこと」を肯定した作品で、それを目指そうとしたピーターは救われ、それができないジェイソンは救われないまま命を落としてしまいました。シャンテルはこのようにピーターに言います。

他人のために自分から隠れるなんて それはとてつもない失敗よ
〈God Don't Make No Trash〉

結局のところ、作品の伝えるこのメッセージに違和感があるから好きになりきれないのだと思います。もちろんすべての人が“bare”することが理想ではありますが、もう少しそれができない人に対する優しさがあっても良かったのではないかと思うのです。ジェイソンは社会の冷たい視線に耐えてでも、ピーターの愛に応えるべきだったんでしょうか?私はそうは思いません。セクシャリティの公表については、絶対に本人の意志が尊重されるべきです。それが人によっては生死に関わるということが、同じ悩みを抱えてきたピーターになぜわからなかったのか。ピーターはジェイソンのアウティングの原因であるにも関わらず、脚本上にはそのことに対する批判的な視点が欠如していると感じます。“bare”すべきであるという価値観を押しつけるようなピーターの行動。それは独占欲から来たもので、他のキャラクター同様にとても利己的です。なのに、そのことに責任を負わないまま恋人を失った被害者として扱われるところがアンバランスだと感じます。愛してると言うのなら、なぜ道を見失ってしまったジェイソンに救いの手を差し伸べなかったのか。彼がクローゼットでいることを望む理由を本当に理解しようとしたのか。そんな疑問ばかり浮かびます。

■自らを失敗作だと思い込んだジェイソン

ジェイソンはとうとう「自分のセクシャリティは罪である」という考えから解き放たれることがありませんでした。

完璧な世界なら愛しただろう
でもそうすることができない だめなんだ
〈Touch My Soul〉

平凡になろうと努力したけど 無駄でした
〈Cross〉

完璧な世界だったなら、アイビーを愛していたはずだと言うジェイソン。裏を返せば「ピーターを愛しているのは自分が失敗作だから」と思っていたということですよね。世間に対する希望を持っていたピーターとは違い、悪いのは世間ではなく自分なのだと強く思い込んでいた。その根底には父親の厳しい教育姿勢があり、ピーターの存在すらも父親の愛を獲得したいという思いを越えることはできませんでした。

ジェイソンが入学を決めたノートルダム大学はカトリック色が強く、過去に同性愛者を退学にしたこともある学校です。ジェイソンにとっては、何を置いても父親の期待に応えることが最優先事項だったのでしょう。ジェイソンとのすれ違いのあと、ピーターはノートルダム大学への入学を蹴って、同性愛に寛容なカリフォルニア大学バークレー校を選びます。はっきりと語られることはありませんが、進路問題も2人の溝を作る一因だったのだろうと思います。

■似た者同士だったジェイソンとアイビー

そんなジェイソンが「完璧な世界」を求めた時に、その相手としてアイビーを(一度は)受け入れたのは自然なことだったような気がします。アイビーは美しい容姿を持っていますが、誰にも内面を見てもらえないことに苦しんでいます。愛されるために他人の期待に応え、“男性の望む姿”であろうとするあまり自分を見失うアイビー。

一つの色の上に また別の色が重なっていき
完成してみると
冷たく微笑む いま 絵の中の少女が
絵の中に閉じ込められてしまった
〈Portrait of a Girl〉

彼らが何を求めてたのかわかる 望むことは聞いてあげた
だけどみんな去ってしまった 男の子たちは
〈Touch My Soul〉

そんなアイビーに、“父親の望む姿”であろうと努力するジェイソンが同調するのは当然なのではないかと思います。アイビーがジェイソンに他の男の子たちと違うものを感じたのは、彼が同性愛者だったからに他ならないのですが、追いつめられたジェイソンはその思いを利用してアイビーと身体を重ねることで不完全な世界を脱出しようとします。

今 僕に後悔はない この瞬間光が見える
今やっとわかった これが正しいことなんだと
〈One〉

最終的にアイビーは妊娠してシングルマザーになってしまうわけで、ジェイソンのしたことは言うまでもなく不誠実ですが、ともに社会規範に支配された2人が通じ合った瞬間もまた真実だったのではないかと思います。

■生徒たちの届かない祈り

私がbareを好きな一番の理由は音楽が素晴らしいこと。“ポップオペラ”というだけあって、bareはほとんどの部分が歌で進行されます。曲は全編で36曲。好きな曲は本当にたくさんあるのですが、特に好きなのが次の2曲です。

まずは〈Are You There?〉。恋人ジェイソンとうまくいかず、彼の気持ちが離れることを恐れるピーターと、どんなに努力してもアイビーの愛を得られず苦しむマットが歌うナンバー。

そこにおられるのですか 見えますか 僕の涙
僕を救うと言いながら なぜ見守るだけなのです
主の御心の通りに生きてきました 少しは僕を見てください
〈Are You There?〉

 それから、生徒たちが告解などくだらないことだと言いながらも、心の中では神の救いを求める〈Confession〉。

生徒たちは「赦しなどいらない」「何の意味もない」と吐き出しつつも、不安を口にします。

もしも 感じていることが 私が見ているものが
戒律の内容と教えに外れていたら 私はどうしたらいいですか
〈Confession〉

それに対し神父は「教会の教理は数世紀にわたって研究されたものであり、ただそれを信じればいいのだ」と生徒たちの疑問を撥ね除けます。

本当に聞こえているのですか 私のことがわかりますか
見ておられますか 私の祈り
あなたに私が全部話したなら あなたに話せば
〈Confession〉

この作品の大きなテーマはカトリック批判です。教会の変わらない教理が現代の若者の多様な悩みを救えていないばかりか、余計に締めつけていることを強く非難しています。神に対する諦めと、縋るような思いを吐き出すナンバーになぜかとても心惹かれるのですよね。

この曲の「祈り」の部分は序盤の〈Auditions〉でも歌われています。

僕を知らないでしょう/答えのない祈り
わからないでしょう 僕が/私を見て
わからないでしょう 僕が
〈Auditions〉

神には自分がわからないと言うジェイソン。彼は祈りの場には決して姿を現しません。

毎日泣いて祈っても 無駄だったんだ
〈Touch My Soul〉

きっと過去には誰よりも祈りを捧げて、それでも救いが見つからなかったから諦めてしまったんでしょう。もう祈らないと決めたけれど、どん底に落ちた時にもう一度神を求めた。なのに突き放した教会を、ジェイソン亡き後にピーターが非難します。

愛して 祈りました すがりました
神に切望しましたが
僕たちは数多くの教理の中で道を失ってしまったんです
〈Absolution〉

個人的にはクローゼットとしてしか生きられなかったジェイソンへの救いがない脚本を残念に思うところもあります。だけどこの作品が多様性を受け入れない教会や社会へのアンチテーゼであることを考えると、安易な救いは描けなかったのだろうとも思います。実際に今、救いが得られない人の苦しみが続いていること、世の中がとても不条理であることを伝えようとした作品なのでしょう。観劇後に残る心のモヤモヤも、ジェイソンが救われないまま幕を閉じたことへの哀しさも、多分全部正しい。いや、もちろん作品の感想に正しいも間違いもありませんが。きっとそれも作り手の意図したところなのだという気がします。

Dear ジェイソン 愛はどうしてこんなに複雑になった
ここではまだ答えが聞こえない
そこでは君が望んだ答えが見つかったの
僕らを導いてくれる声が聞きたいよ
〈No Voice〉

■韓国版キャストのこと

大抵の場合、好きになる作品は脚本そのものを気に入ることが多いです。だけど2016年の夏に予習としてbareの英語版スクリプトを読んだときは上に書いた理由から「私この作品ダメだ…」と思ってしまいました。しかし日本版を観た友人にゴリ推しされてたことがあって、韓国版を観ることに。空いてた枠に入れたので、キャストは誰一人知りませんでしたし、あまり気乗りはしていませんでした。
だけどその時に観たキャストがものすごく私の好みに合っていたんですよね。特にジェイソン役のキム・スンデさん。序盤は太陽のような笑顔で、まさに“心ではなく頭で生きている”人気者。そのぶん終盤で崩れた時の絶望の演技が真に迫ってました。最初は2階席だったのに、ぐいぐいジェイソンに引っ張られてディープな観劇体験ができました。それから、ピーター役のソン・スンウォンさんにも驚かされました。意志が強くて頑固なピーターという感じで、特にラストの「私は神父様を赦します。」というところでは明らかに怒りを表現していたんです。スンウォンピーターは自分のことも赦していない、と感じられたから多少は納得することができたのかもしれません。メインの5人だけではなく他の生徒たちにも細かな役作りがあり、エネルギーが溢れる舞台でした。作品を好きになった今でこそどのキャストでも楽しめるようになりましたが、もしこの時のキャストで観ていなかったらそれも違っていたかも。

2017年は、3度の観劇で2人のジェイソンと3人のピーターを観ました。その中で特に好きだったのはカンチャンさんのピーター。とても表情豊かでキャラクターの作り込みが細かいので、ピーターがメインではないシーンも追いかけているのが楽しかったです。それから、スンウォンピーターと同じく頭が良くて強かな部分があるところも私の好みに合っていました。シスター・シャンテルに「ピーター、あなたは間違ってない。ただ“違う”だけ。」と言われ、一気に涙があふれるところが好きでした。すごく演技が自然な俳優さん。歌声も少年ぽくて好きです。今29歳だってことを知ってびっくりしました。本当に高校生くらいに見えるよ!

ジェイソンはコ・サンホさんが素晴らしかった。最初から少し陰のあるキャラクターで、ずっと一気に崩れ落ちそうな不安定さのあるジェイソンでした。歌声も美しくて大好きだし、終盤の感情の爆発もさすがの迫力。歌の上手なソホピーターとのハーモニーが本当に良かった。ソホピーターは、とても無邪気でかわいいピーターでしたね。ジョンフィピーターは、ジェイソンが息を引き取ったあとに仮面をつけていたことに驚きました。他の人はやっていないですよね?あれはジェイソンの死に絶望したピーターが今後クローゼットとして生きることを選んだということなんでしょうか…。

f:id:ozmopolitan-cc:20180210214748j:plain
f:id:ozmopolitan-cc:20180210214744j:plain

プログラムを見ていて、今回の公演でデビューした俳優さんが多いことにびっくりしました。ノユンさんのジェイソン、2幕は物足りなかったですがデビューとは思えないくらいには上手だった。ナディアもアイビーもデビューってまじかよ…。才能ある若手発掘の場になっているのは良いことですね。特にナディア役のキム・ジヘさん良かったです。ナディアはメインキャラクターの中で明確に前に進めた人だと思ってます。最初は拒否した兄のハグを、終盤自分からするところはいつも泣かされます。妬んで意地悪をしていたアイビーに対し「きれいだ」と言って支えるところも。

今回の再演で残念だったのは、セットの変更。劇場が変わったので仕方がないのですが、大勢が入り乱れる作品なので導線がうまく引かれてないのが気になって、最初は集中できませんでした。全体の勢いが落ちてしまったような印象。あの急な階段も、危なっかしくて落ち着いて観ていられなかった。次はまたトゥサンアートセンターに戻って欲しいなー。ペガムは遠いよ。

f:id:ozmopolitan-cc:20180210214731j:plain
f:id:ozmopolitan-cc:20180210214702j:plain

今期はOSTも発売され、ずっとbareの音楽に浸っていられるのが幸せ。好きなところも嫌いなところも含めてこんなに心を動かされるのは、bareという作品がリアルな世界を映し出すことで問題提起をしているからだと思います。感情を音楽に乗せられて表現するミュージカルの良さも、多角的な視点を生み出す群像劇の良さもあって、感じることの多い作品。全部が全部好きだと言えなくても、やっぱり何度も観たくなります。次の再演も待ち遠しいです。