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BTSと韓国ミュージカルが好きです。

【観劇感想】韓国創作ミュージカル『バンジージャンプする』(번지점프를 하다)

2018年6月12日〜8月26日 世宗文化会館Mシアター

2012年初演、2013年再演に続き、5年ぶりの再演となったバンジージャンプする』。2012年の韓国ミュージカル大賞でも音楽賞を受賞したり、雑誌『ザ・ミュージカル』でも「もう一度見たいミュージカル」1位になるなど広く愛された作品で、私の周りの韓国ミュージカルファンからも以前から再演を待ち望む声が聞こえてきていました。

ウィル・アロンソン(作曲)&パク・チョンヒュ(作詞)コンビの作品は、昨年『もしかしたらハッピーエンディング(어쩌면 해피엔딩) 』を観ています。とにかく音楽が良くて、これまでに観た韓国創作ミュージカルの中でもトップレベルに好きな作品。ということで、かなり期待して開幕を待ってました。

原作は2001年に製作されたイ・ビョンホン主演の韓国映画。ミュージカル版は映画に忠実な内容になっており、セリフや細かなエピソードまでそのまま使っているところも多いです。ですので予習に関しては、映画を一度観ておくだけでも十分かと思います。

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 ■インウ役:カン・ピルソク/イ・ジフン
■テヒ役:キム・ジヒョン/イム・ガンヒ
ヒョンビン役:チェ・ウヒョク/イ・フィジョン

私の最注目ポイントはもちろん本陣様であるチェ・ウヒョクさん演じるヒョンビンです。3月、フランケンの再演にウヒョクくんが出ないと知って鬱々としていたところに飛び込んできたバンジー出演のニュース。すっっっごく嬉しかったです。そろそろワン・ヨンボムファミリーから離れたところで演技をしっかり観られるタイプの作品に出て欲しいと願っていたので、こんなに評価を受けている作品に重要な役で出てくれるなんて最高じゃないですか。観たい作品に好きな俳優さんが出てくれるって幸せだ…。

今回ウヒョクくんに声をかけたのは、世宗文化会館文化芸術部長であるキム・ヒチョル氏。フランケン初演時の総括プロデューサーであり、再演のオーディションでウヒョクくんを選んだ1人だったそうです。ウヒョクくんは「線の太い演技だけを続いてすることはできない。俳優の幅を広げることができるチャンスだと思った。」とインタビュー記事で話しておられました。いつでも新しい姿を見せようとしてくれるところが大好きです。結果的にヒョンビンは、これまでウヒョクくんが演じた役の中でアンリに次いで好きな役になりました!

これまでに3回観ましたが、インウ役は今のところピルソクさんだけ。ジフンさんはこれからなので楽しみ。しかし、ピルソクさん・ジヒョンさん・ウヒョクくんの3人を越える組み合わせはないのではないか…という気がしてます。


◆あらすじ

※思いっきりネタバレです。できればネタバレしない方が楽しめるタイプの作品なので、これから予習をお考えの方は、可能であれば先に映画をご覧になることをお薦めします!

セヒョン高校で教師として働くソ・インウ。新任の挨拶で、クラスの生徒たちに「初恋の話をして」とせがまれ、インウは17年前の恋人との日々を回想する。

当時大学3年生だったインウは、雨の日に自分の傘の中に突然飛び込んできた女性・テヒに一目惚れをした。女性慣れしていないインウは、ひたすらテヒの行く場所について回るばかり。最初はインウのアプローチに対して気のない振りをしていたテヒだが、一緒にワルツを練習したことをきっかけに恋人同士となる。ところが、インウはテヒとの出会いの前に入隊を決めており、別れは早くもやってくる。旅立ちの日、駅のホームでテヒを待ち続けるインウ。テヒはインウのもとに急ぐ中で交通事故に遭い、帰らぬ人になってしまった。

17年後の現在、インウは男子生徒・ヒョンビンにテヒとの奇妙な共通点を見つける。かつてテヒが言った言葉、テヒの癖…次々と見つかる共通点。次第にインウは、ヒョンビンがテヒの生まれ変わりだと確信するようになる。妻がいるにも関わらず、ヒョンビンへの想いが抑えきれなくなるインウ。彼が同性であり、教え子であることに苦しむ。ヒョンビンに対するその異様な態度から、学内ではインウが同性愛者であるという噂がたつ。インウは教師をクビになり、妻とも離婚し、失意のまま街を離れようとする。
一方ヒョンビンも、インウに覚える不思議な感覚に戸惑っていた。恋人ヘジュとの関係にも亀裂が入り、クラスに居場所がなくなるヒョンビン。インウが街を発つ直前、偶然に手にしたテヒのライターをきっかけに、ヒョンビンは自分がかつてテヒであったことを思い出す。再び心が繋がった二人は、インウとテヒが昔一緒に登った山に行き、何度生まれ変わってもお互いを愛することを誓う。



◆感想

 ■シンプルで芝居が引き立つ演出が好き

とても演劇要素の強いミュージカルです。たとえばインウとテヒが初めて夜を過ごすシーンの前には、ごく短いセリフのやりとりをじっくりと数分かけて演じたりと、二人の心が近づくシーンを絞って、とても丁寧に表現しています。リアルな心情と緊張感が伝わる小劇場作品の良さと、大人数のカンパニーだからできる群像劇としての面白さ。魅せたい場面を絞り、芝居に集中させる、メリハリのある構成。とてもバランスの良い作品だと思いました。

2014年の公演は観ていませんが、前回の上演時からは少し規模が縮小しているらしく、セットも簡素になり、アンサンブルの人数も減っているようです。私としては、メインキャストの芝居が引き立つ今回のシンプルな舞台セットはすごく好き。最初のシーンでは、映画と同じくインウが最初に黒板に地平線を書くのですが、全編を通してセットの中にこの地平線が表現されていて、二人の距離を象徴しているところがよいです。たとえば、二人の心が繋がる前のシーンでは蛍光灯で“途切れた直線”を表現したり、すれ違うシーンでは斜線が走ったり。そのぶん一幕&フィナーレの山でのまっすぐな地平線と夕焼け空が、シンプルながらも作品を象徴する舞台ビジュアルとして強く印象に残ります。

登山デートで頂上に立ち、「この風の音はまるで私が生まれる前から吹いているみたい」とテヒが永遠を感じる瞬間を歌う《もしかして聞いたことがある?》。

最初の出会いのシーン、テヒがインウの傘に飛び込んできたところでアンサンブルの時が止まったようにゆっくり流れるところも好き。そういえば、同じ制作スタッフの最新作『もしたしたらハッピーエンディング』でのオリバーの妄想はこの作品へのオマージュなんですね!

 出会いのシーンから、インウが「あなたが僕の特別な人なのか?」と歌う《君ですか》

フィナーレ近くでヒョンビンが「初めて出会った時(※テヒとして)、本当は傘を持ってたって知ってた?」って告白するのもかわいいし、ヒョンビンが彼女の傘に飛び込んで「傘、友達に貸しちゃったんだ」って言うシーンもこれの伏線になっててとても良い…。

他にも携帯の着信音や、物を持つ時に小指がたつ癖、似顔絵入りのライターなど、細かなエピソードがテヒとヒョンビンをつなぐ伏線になっているところがこの作品の面白いところ。このあたりは映画版にとても忠実につくられているのですが、構成はかなり変わっていて、過去と現在が交差する演出が舞台ならでは。特にヒョンビンがテヒの生まれ変わりではないかと気づく二人三脚のシーン、テヒとヒョンビンが重なるインウの幻想、ヒョンビンがテヒの姿をして現れる交通事故のシーンなど、装置や効果を使わず役者で表現するところが好きです。

 

■ウィル・アロンソンが書くメロディの力

この作品の一番の魅力はなんといっても音楽だと思います。『もしかしたらハッピーエンディング』にしろ、この作品にしろ、ウィル・アロンソンのどこか懐かしく、やさしく耳に残るメロディは本当に大好き。なかでも、インウとテヒが夜を共にするシーンの《それが私のすべてだと言うことを》

【動画】《それが私のすべてだと言うことを》MV―カン・ピルソク、キム・ジヒョン

もし僕に次の世界が与えられたとしても
僕はその時も君だけを探し続けるだろう
また君を愛するよ

そしてもしいつか 私が道を失って彷徨っていたら
あなたはただそこで私を待っていればいい
私が探し出すから

映画と同じく、無愛想なアジュンマがひいた薄い布団が置かれているだけの寂れたモーテルで。「君と寝たい」と言って訪れたのに、部屋の隅に座り込んで緊張でしゃっくりをしている主人公インウ。そんな地味で格好のつかないシチュエーションなのに、この曲の美しいメロディがこのシーンを1幕最大のクライマックスにしてくれます。インウとテヒは“運命の恋物語の主人公”というイメージにはそぐわないような、ごく素朴な大学生のカップルで、自分の周りにもいそうなほど平凡なキャラクター。そんな二人の魂の強い結びつきを理屈抜きに納得させられてしまう力が、この曲にはあります。

 

■ピルソクさん、ジヒョンさん、ウヒョクさんのこと

インウ役のピルソクさん、これまでにも何作か拝見していますが、改めておそろしく巧い方だと思いました。自分の人生を俯瞰しているような現在のインウと、不器用だけど一生懸命で、いつでも素直に感情を迸らせる青春時代のインウ。表情はもちろん、立ち方に、手の仕草にと、細かく演じ分けられていました。もじもじしながらテヒの小指に魔法をかけるところが大好きです。モーテルのシーンでも、皺くちゃになったお札を伸ばす仕草や、やかんの水を一気飲みするところなど、細かいお芝居からインウというキャラクターの内側に引き寄せられてしまいます。

テヒ役はジヒョンさんが大好きです。堂々として、自分が信じるものに疑いを持たない強い人。フラットで他人の上にも下にも立たない感じ。テヒがインウにライターをあげるところは少し映画と違うんですよね。インウはつい見栄を張ってタバコが吸えるとテヒに嘘をついてしまうのですが、そのまま受け取っていた映画版と違い、テヒはその嘘を見抜きます。ジヒョンテヒがまっすぐインウを見据えて「私はありのままのあなたが好き」というところ、とても良い。

そしてそして、ヒョンビン役のチェ・ウヒョクさん。1幕はとにかくかわいいが溢れている…。ウヒョクヒョンビンは天真爛漫で、HR中も前の席の子にいたずらしているし、本当に毎日が楽しそう。好きな人に対する愛情表現もとても率直で、自分の感情に正直に生きている子。毎瞬間がかわいいんですが、《そうかも》のダンスと「僕の好きな人はみんなテソンマンションに住んでる」のあとの「へへっ」にはいつも椅子から崩れ落ちそうになります…。

そういえば、ヒョンビンがヘジュに贈るいたずらプレゼント、今期はヘビのおもちゃなのですが、前回までは映画と同じく下着だったんですよね。これ映画で観て、ウヒョクヒョンビンにやって欲しくないな…と戦々恐々としてたので、ヘビが出てきた瞬間ものすごく安堵しました。MeToo運動が始まって以降、韓国ミュージカルでも女性蔑視表現への見直しがおこなわれていて、このあたりの演出が変わったそう。本当に良いことだと思います。(前回観ていないのでわかりませんが、二幕での同性愛に関するセリフにも変化があったとか)

 

■永遠に心に刻みたいラストシーン

どこか物悲しさが漂うけれど、微笑ましいインウとテヒの恋物語が展開する一幕。生徒たちもかわいらしくて、笑えるシーンもたくさん。しかし、二幕になるとストーリーはどんどんやるせない方向に変わっていきます。やっと再会できたのに、社会的立場のせいで惹かれることがお互いにとって戸惑いと苦痛に。愛され、慕われていたインウとヒョンビンは孤立し、追い詰められてしまいます。

生まれ変わりを確信しているインウと違い、ヒョンビンの中にはテヒの記憶の片鱗があるだけ。恋人のヘジュやクラスの仲間に責められても、インウの側に立つヒョンビン。だけど自分がそうせずにはいられない理由がわからず苦しみます。ヒョンビンが一人になった教室で歌うソロナンバー《僕のせいじゃない》は、ものすごく胸が痛む曲。自分の感情に正直なヒョンビンだからこそ、コントロールできない感情に支配されるのは恐ろしいことだったでしょうし、無意識の中にいるテヒがヒョンビンを変えてしまうことの切なさを感じました。

「なぜ自分のことを覚えていないのか」とインウに縋りつかれるシーンでは、これまでのヒョンビンからは考えられないような皮肉も言い、インウの手を引き剥がします。インウには見えないところで逡巡するウヒョクヒョンビンの表情からは、自分が自分でなくなってしまうことの恐怖を感じました。必死に心からテヒを締め出そうとしているみたい。

ライターに火が灯り、ヒョンビンにテヒの記憶が戻るところはとても静かな演出。煙が立ち込める中、ウヒョクヒョンビンの目に浮かぶ思い出が見えるようです。テヒとヒョンビンが出会い、動きが重なり、ヒョンビンからテヒに入れ替わる。インウがテヒと手をつなぎ、またテヒがヒョンビンに入れ替わる――というところまでアンサンブルを使って人力で演出するところがとても良い。

【動画】《記憶たち》2018年プレスコールより―イ・ジフン、チェ・ウヒョク

そして私がこのミュージカルで最も好きなのがラストシーンの《僕たちは愛し合わなければならない》。一幕でインウとテヒが歌う《それが私のすべてだと言うことを》のリプライズです。ふたたびインウとヒョンビンとして訪れた山で、夕焼けを背にして手をつなぎ、愛を誓うふたり。チェ・ウヒョクさんの何が好きかって、たとえ何も言わなくても「愛してる」が伝わるその表情。優しくて温かい歌声。それだけで何もかも納得できてしまう。これまでのすべてはこの場面のためにある…と思ってしまうほど、美しくて、永遠に心に刻みたい瞬間です。またピルソクさんとの声の相性もよくて、初めて観たあとは数日間ずっとこの時の二人の歌声が耳に残っていたものでした。

 

■長く愛される作品になるために、見直しが必要では

…というように、心を動かされることは間違いないのですが、はっきり言って手放しでは称賛できない作品です。実は私、映画版は好きになることができなかったのです。

映画版のラストでは、インウとヒョンビンニュージーランドへ行き、バンジージャンプ台の上からロープをつけずに二人で飛び降ります。周囲の人の叫び声が聞こえ、二人の魂が川を登っていくような演出で終わる映画版。二人が心中したのは明白です。正直、このラストには戸惑いと悲しみしかなく、受け入れることができませんでした。そもそもファンタジーであり、二人は魂に終わりがないことを知っているから「死」を選んだわけではない…というのはわかっているのですが、それでも“インウとヒョンビン”としての生を手放してしまうことには納得がいきません。たとえ魂が同じだとしても、“インウ”“ヒョンビン”という人間は育ってきた環境がつくったもので、テヒやこれから転生する人間とは別の存在。愛しているのは“テヒ”の部分だけで、男性として生まれた“ヒョンビン”を愛することは諦めてしまうの?まだ17歳のヒョンビンに人生を捨てさせるの?どんなに想像力を働かせても、私にはそれが愛だとは思えませんでした。

それから、二人が現世を諦めることになった理由が“同性愛である”ことが何より気になる部分です。映画版が制作されたのは今から20年近く前。2001年の韓国では、多くの人の中で同性愛は“悲劇”だったでしょう。でも2018年の今、そんな価値観は古臭いものです。「たとえ同性に生まれ変わっても愛せるなんてスゴイ」という視線は、差別的なものだと思います。インウとヒョンビンを受け入れなかった当時の社会への批判も特にないまま、二人が同性同士で生きることを放棄するラストを描くことについては到底納得できません。

ミュージカル版のラストを観ていると、ヒョンビンはやはりテヒとは別の存在だと感じます。ラストシーンは映画のようにニュージーランドではなく、かつてインウがテヒと来た山です。「登山は初めてだ。高校生は家と学校の繰り返しだから。」と言い、山の景色に感激するヒョンビン。ここでヒョンビンはテヒと同じ質問をインウに投げかけます。「ここから飛び降りたら死ぬのかな?」と。それに対してインウの答えは、「ここから飛び降りてもきっと終わりじゃない」。これはテヒ自身が言った言葉で、それを聞いてヒョンビンは嬉しそうな顔をします。ヒョンビンには、ただテヒの断片的な記憶があるだけ。テヒの記憶が訪れたあとのウヒョクヒョンビンは、“テヒになった”というよりは本来の迷いなくまっすぐに人を愛するヒョンビンに戻ったという印象でした。

最後は絶壁の上で二人が手をつなぎ、夕焼けの空を見つめたところで暗転(回によっては前に踏み出しています)――という、曖昧なラストになっています。ですので、私はもう作り手や演じ手にどんな意図があろうが、二人はここで命を投げ出したわけではないと思うことにしました。二人はもと居た社会を捨てて、“インウとヒョンビン”として人生を全うした。そしてまた生まれ変わり、出会う――そう思えばこそ、この作品を好きになることができました。解釈の余地を残した演出になっていて本当に良かったです。

しかし実際のところは、原作映画がそうであるように、飛び降りたという見方ができる作品で、多くの人がそう解釈していると思います。ミュージカル版も、最初に制作されたのは7年前。時代は大きく変わってます。アップデートしているセリフも多少はあるとは言え、この結末では今後長く受け入れられる作品にはならないのでは…と感じました。キャストのインタビューをいくつか読んでいて、制作側にもそのあたりへの葛藤があるらしいことは読み取れましたし、本国ミュージカルファンの間でもかなり評価は割れているようですね。良い音楽と心を動かされるシーンがたくさんあるだけに、見直しを図って普遍的な作品に変えていってくれたらいいなと思います。